信号待ちの交差点。小春日和の午後。久しぶりに幌を開けたMGBの助手席で、彼女はずっと俯いている。耳まで赤くして。
「いつも元気なのに、どうしたんだよ」
「だって、はずかしいじゃない」
「だれも見てやしないさ。そんなことより、空を見上げてみろよ。こんなに青い空、見なきゃもったいないぞ・・・」
まだ膝元に視線を落としたままの彼女におかまいなしに、背筋をそらすようにして、ぼくはシートに身をもたせかける。早春の光は、まるで顔から胸のうちまでしみ入ってくるような心地よさだ。柔らかな日射しの微粒子のなかを漂っているような身の軽さに、信号が青に変わったのも忘れて、ぼくはうっとりする。
そんなとき、ぼくは思う。毎日は、次々と、ぼくらにかまわず過ぎ去ってゆく。何を考えていようと、考えまいと、ときには考える間もなく、過ぎてゆく。そんな慌ただしい暮らしのなかに、お気に入りのサイフォンで丁寧に淹れたコーヒーのような、少しばかりのエッセンスがあればいいと。自分にだけ与えられる極上の価値観、生きることのプラスアルファが。
車に乗るってことは、いまのぼくらにとって、歩くのと同じくらい日常的なことになっている。そしてその車は、性能はもちろんのこと、居住性という点でも、飛躍的な進歩を遂げている。車内というひとつの空間はいまや、窓の外のどんな状況にも影響されることなく、快適なクルージングタイムを提供してくれる。
ぼくのMGBは、その点、明らかに一時代前をいく車だ。けれど、こんな心地よい瞬間を迎えられたとき、ぼくはすごく得した気分になるのだ。芳しいエッセンスを身体いっぱいにふりかけられている感覚を授かった特権階級なのでは、なんてひとり悦に入る。
つい最近、サヨナラした彼女は、ことのほか寒さに弱い人だった。ぼくもそうだ。だけど、少し暖かな冬の夜。ちょっぴり無理して、ぼくはオープンのMGBと走る。晴れた冬の夜の空気は、四季の中でも確実に透明度を増す。大空の星は、磨き上げた宝石のように輝きを放つ。寒いのがいやだからと、この代えがたい自然のエッセンスを知らないのは、やっぱりもったいないことだとぼくは思うのだ。
空っぽの助手席を見るのは、ほんの少し寂しいけれど。
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